← 記事一覧に戻る

レビューは試験ではないことがわかってきた

公開日 2025/07/14更新日 2025/07/16

レビューを受ける側からする側へ回って感じた意識の変化の話。

昨年の4月にエンジニアに転職してリモートで保守・開発をしてきた。入社してから社内のテックリードが割り振ったタスクをもとに実装をし、PRを出してレビューをしてもらう流れが10ヶ月ほど続いていた。

実装や技術的な問題解決に取り組むことは楽しい一方、レビューを受ける際に「レビュワーの正解を探し当てる必要がある」と考えていた。

背景には、私が「中途未経験で業界に入った自分には圧倒的に知識と経験が足りない」という劣等感を抱いていたことと、前職の文脈が影響していたからだと思う。

自分がレビューをするようになって

自分自身がレビューをする立場になったことで、認識が大きく変わった。レビューは「試験」ではなく「お互い知見・判断を持ち寄り、より良いものを作るための対話の場」であることを実感した。 レビューをしているとき、自分が過去に経験した課題や良さそな解法を提案としてコメントするが、それが唯一の正解だとは思わない。あくまでも提案であり、より適した解法があればそちらを採用したいという思いでレビューしている。

自身のPRについたコメントは批判ではなく嬉しい意見として捉えられるようになり、レビューに対する過度な緊張がなくなった。

無謬性は存在しない

レビューを経てマージされたコードにも後から修正が入ったり、仕様変更でやり直しが発生することも少なくない。最善な選択は後でひっくり返ることを実感した。

逆に言えば、自分の提案や設計次第でプロダクト全体の質が変わることを強く意識するようにもなった。 ただ言われたとおりに作るのではなく、自らの判断や提案がプロダクトに影響を与えるというコントロール感を強く持てるようになった。より主体的に開発に関われるようになったかな。

なぜ今まで実感できていなかったのか

書いてみると当たり前だが、なぜ実感できていなかったのか。 「評価される側」という立場から抜け出せていなかったことと、前職で身についた文化の影響が大きかったのだと思う。

以前は役人として働いており、そこでの仕事は無謬性が極めて強く求められていた。 前例主義・形式主義・間違えないようにするための決裁というプロセス。

その文脈をこちらの世界に持ち込んでいたから「決裁 = レビュー」という変換をしていたのかもしれない。

これから

今後は、レビュー時のコメントの書き方にも、これまで以上に気を配っていきたい。 私自身が前述のような経験をしてきたからこそ、コメントを受け取る側のコンテキストによって心理的な負担の感じ方が変化することを理解している。

「これはあくまで一つの提案であり、私の意見が唯一の正解ではないよ」というスタンスが、コメントからも自然に伝わるようにしたい。一緒により良い選択肢を探す姿勢を言葉に込めることを意識していきます。